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-きたのひと新聞-

社説を読んで フェイクと真実

新聞の社説に

真実や事実と噓(うそ)や虚偽=フェイクなら、もちろん前者が「善」で後者が「悪」ですが、その伝播(でんぱ)する力となると、残念ながら、真実は噓にかなわない。米国の作家マーク・トウェインも曰(いわ)く、<真実が靴を履いている間に、噓は世界を半周する>。
何もかもがゆっくりだった19世紀生まれの作家をしてこう言わしめたのですから、デジタル全盛の現代においては、況(いわ)んやをや、でしょう。

誰かの善行などいい話は知れわたりにくいのに、悪い話だと、すぐに広まるという趣旨の<好事は門を出でず、悪事は千里を行く>という古い中国の箴言(しんげん)も思い出します。

と書いてあった。

 真実や事実は、噓や作り話に勝つべきだし、自由で民主主義の社会なら、自然とそうなるはずだと思っていましたが、どうも実際の社会はそう単純ではないようです。

 フェイクの情報をいとも簡単に、しかも本物と瓜二つに作れてしまうAI(人工知能)などのテクノロジーの進展は目覚ましく、この先、情報はあふれているのに、何を信じていいのかわからない社会になっていくでしょう。

 これから、あらゆる領域で生まれる噓やフェイクを止めるすべはありません。それは自由な言論を認める民主的な社会だから当然のことです。

 そして、誰もが知らず知らずのうちに誰かのフェイクに引っ掛かり、知らず知らずにフェイクをばらまいてしまうことになります。

 そんな社会でも、真実は噓に勝つ、という当たり前のことが実現するためには、情報をうのみにせず、冷静に判断する力を養っていかないとならないんでしょうね。

(参考)

www.tokyo-np.co.jp