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-きたのひと新聞-

ニュースを読んで 職員研修に教育勅語を使ってみたら?

ときどき出てくる教育勅語のニュース

ときどき、教育勅語のニュースが出てきます。

ニュースの文脈的に、戦前の軍国主義の精神を教育するために使われた悪いものだから、それを今使うのは不適切だ、というものが多いです。

なんとなく、そういうものだと思っていましたが、この記事をよんで、教育勅語って何なのか、事実を調べてみようと思いました。

教育勅語はこんなことを言っています

教育に関する勅語の全文通釈(かな遣い等を修正しています)

朕が思うに、我がご祖先の方々が国をお始めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠に励みよく孝を尽くし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。

これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。

汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義をもって交り、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及ぼすようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。

かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。

かようにすることは、ただに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それが取りも直さず、汝らの祖先の残した美風をはっきりあらわすことになる。

ここに示した道は、実に我がご祖先のお残しになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々に従い守るべきところである。

この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。

どうでしょうか。

部分部分で見ると、立憲君主制に基づくような文言や古い言葉の使い方もありますが、内容を見てみると、親孝行しよう、兄弟姉妹仲よくしよう、夫婦も仲よくしよう、友達同士は信頼をもって交流しよう、自分勝手なふるまいをせずにみんなに優しくしようといった今でもごくごく普通に通用する価値観を示しているところもあります。

そうしたら教育勅語はどう受け止めればいいのか

世の中の文章は、有意義なところと無価値なもの、有害なものが入り混じっています。

それを読み手が判断して、有用なものを取り入れ、有害なものは拒絶するという行為を日常的に行っています。

それと同じことを教育勅語を読むときにすればいいはずです。

今日読んだ記事では…

広島市長が、新規採用職員の研修で使った資料に「我々の先輩が作り上げたもので良いものはしっかりと受け止め、また、後輩に繫ぐ事が重要」と書き、教育勅語の一節として「爾(なんじ)臣民 兄弟(けいてい)に 友に 博愛 衆に及ぼし 学を修め 業を習い 知能を啓発し 進んで公益を広め 世務(せいむ)を開き」との文言を掲載したことを問題かのように記事にしていました。

言葉は確かに「汝臣民」というように君主制を思い起こさせるものを使っていますが、内容は、兄弟や友人に対する博愛と、知識を学び技術を身に着けて世の中の役に立とう、という新採用職員に語るものとして、不適切な内容とは思えません。

こういう自分と違った人の考え方を安易に批判するメディアって…

朝日新聞教育勅語を今使うことを批判したいのかもしれませんが、批判はしっかりとした事実に基づくべきです。

広島市長は、周りの人を大切にしよう、自分の能力を高めようということを教育勅語を使って話したにすぎません。

それを批判するのはお門違いというものでしょう。

しかも、朝日新聞自身の言葉でなく、教授などの外部の人間の批判する言葉を用いて、自分の主張を代弁させるのはとても卑怯です。

批判するなら、自分の言葉で広島市長を批判すべきです。

さいごに、取材を受けた広島市長のコメントを紹介します。

朝日新聞さんにこそ、読んでもらいたい言葉です。

「全体を画一的に捉えて良い悪いを判断するのではなく、中身をよく見て多面的に捉えることが重要である」

(参考)

www.asahi.com