タモリさんの名言、「新しい戦前」
2022年の年末、タモリさんが徹子の部屋で、来年はどんな年になるでしょう?と尋ねられて、「新しい戦前」になるんじゃないでしょうか、と答えて、話題となりました。
左派の人たちは、安倍首相から始まる軍拡によって戦争が引き起こされるとタモリさんが指摘した!と沸き立ち、右派の人たちは、中国の台湾や尖閣諸島への侵略への意思で日本に戦火が迫っている、と解釈しました。
個人的には、タモリさんは、その両方の受け取り方を意識して、抽象的に新しい戦前と言ったのは間違いないと思っています。
内から来るのか、外から来るかは別として、戦争が近づいているゾと、全国民に伝えるのに、もっとも適切なコトバだったと思います。
とある新聞の社説にて
地元紙の北海道新聞に”忍び寄る「戦前」に抗する”という社説が出ていました。
タモリさんの「新しい戦前」のように含蓄のある社説なのか、と思って読んでみましたが、左派の考えがちがちの社説でした。
曰く、
軍事で地域の緊張を高め、気付けば無謀な侵略戦争に突入した昭和の愚を繰り返してはいけない。
地域の緊張を高めているのは、もっぱら中国、ロシア、北朝鮮であって、日本はその領土拡大の野心を押しとどめるために国防力を高めざるを得ないという現実を完全に無視したことを書いていました…
現実を無視して、自らの主張に合わせた事実と現状認識だけを書き連ねる新聞には存在価値があるのでしょうか…
以前は北海道新聞を購読していましたが、客観的な視野のない偏ったメディアにお金を支払うことは世間さまの役に立たないと考えて、購読をやめていますが、その判断は間違っていなかったと思うことが最近、特に増えてきています。
新しい戦前と言う言葉
北海道新聞は、タモリさんの「新しい戦前」という表現が、さも日本の国防費の拡大を非難しているというように受け止めていますが、おそらくタモリさんはそんな単純な話をしていません。
すぐれたコメディアンであればこそ、そんな単純な理解ができる言葉を言うはずがありません。
そういった単なる単語から解釈して勘違いな理解をするよりも、もっと深い洞察力をメディアには期待したいのですが、それは高望みというものなのでしょうか…
せめて、お金を受け取るに値する記事を書いてもらわないと、いずれ新聞という媒体は存在できなくなってしまうでしょう…
(参考)